結婚したての頃、女房の実家(宮崎県高千穂)に毎年帰っていた。
山奥だったから、交通の便が悪いので車で帰らざるをえなかった。
大阪(南港)からフェリーに乗って、大分(別府)の時もあれば、宮崎(日向)の時もあった。
給料が少なく生活も苦しい時だったけど、女房の要求を聞いて、
沢山の土産と共に帰った。
相当な出費だったので、毎回、貯金を全額引き出しても足らなかった。
義父は、私達の結婚に大反対していて、結婚式には出席こそ
してくれたが、終始機嫌が悪かった。
実家の近く(と言っても車で2時間ほどの延岡)に
嫁いでいた義姉が、義父をなだめすかし説得して
結婚式場(大阪)まで連れてきてくれた。
だからかもしれないが、
私たちが帰ると必ず義姉夫妻も実家に帰ってくる。
私達は、そこで3日ほど過ごす。
私はもちろん女房も、そこでは何もしない。
朝、起きると食事の用意がされていて、みんなと一緒に
朝ごはんを食べる。
義姉と義母が食事を用意して、義姉だけが食事をしないで
みんなの給仕をしてくれる。
食事が終わると義姉が片付けをして、みんなは、仕事に出かける。
義父と義母と義弟は、耕運機に乗って山の中にある田畑へ。
義兄は、延岡の職場へ行く。
残された私達は、実家の留守番?もせず、子供のように
近くの林に入ったり、山へ登ったりして遊んでいた。
義姉は、洗濯や掃除など家事をし、そのうえ実家は、
村のヨロズヤのようなことをしていたので、客の応対も
しなければならなかった。
昼頃になると、義姉が私たちを呼びに山に登ってきたりもした。
「昼ごはんよ〜〜」と。
義父らは、弁当を持って行ってるから帰ってこない。
私たちは、また義姉の世話になり昼ごはんを食べた。
夜も同じだった。
義父らが帰ってくる前に風呂を沸かしてくれいて、
先に私たちが入ったあと、義父だけが風呂に入り、
みんなで食事をし、そのあと順番に風呂に入る。
みんなは働き者だった。
3日間、私達夫婦は、上げ膳据え膳で何もしなかった。
というよりも、放って置かれた。
義姉だけが、私達を構ってくれた。
義兄は、仕事が終わっても家に帰らず、この実家に
帰ってきて義父や義弟と酒を飲んで楽しそうにしていたが、
私達夫婦は、与えられた部屋でテレビを見ていた。
そんな時、義姉がやってきて、私達の話し相手になってくれた。
義姉は、綺麗な人だった。
よく働き、親切で優しかった。
義兄のことが、うらやましく思えた。
義兄も優しい人だった。
義弟も寡黙だが、おとなしくて、よく働き義父を助けていた。
村は、のどかだった。
実家の建物が古くて汚くなければ、軽井沢の別荘にいるような
気分だった。
あれから○十年・・・。
毎年、女房の実家に帰ることはなくなったが、
義姉からは、年に何度か宅配便が届く。
そして、いつも私達夫婦のことを気づかった達筆の
手紙が添えられている。
今日(18日)、自分達が作ったという日向夏と鳥の燻製が、
ダンボール2箱で届いた。
そして、添えられていた手紙の最後のほうに、
【・・・携帯もつながらないし、メールも届かないようだけど、どうしたの?・・・】と。
大事な義姉に携帯電話もメールも変えたことを連絡するのを忘れていた。
山奥だったから、交通の便が悪いので車で帰らざるをえなかった。
大阪(南港)からフェリーに乗って、大分(別府)の時もあれば、宮崎(日向)の時もあった。
給料が少なく生活も苦しい時だったけど、女房の要求を聞いて、
沢山の土産と共に帰った。
相当な出費だったので、毎回、貯金を全額引き出しても足らなかった。
義父は、私達の結婚に大反対していて、結婚式には出席こそ
してくれたが、終始機嫌が悪かった。
実家の近く(と言っても車で2時間ほどの延岡)に
嫁いでいた義姉が、義父をなだめすかし説得して
結婚式場(大阪)まで連れてきてくれた。
だからかもしれないが、
私たちが帰ると必ず義姉夫妻も実家に帰ってくる。
私達は、そこで3日ほど過ごす。
私はもちろん女房も、そこでは何もしない。
朝、起きると食事の用意がされていて、みんなと一緒に
朝ごはんを食べる。
義姉と義母が食事を用意して、義姉だけが食事をしないで
みんなの給仕をしてくれる。
食事が終わると義姉が片付けをして、みんなは、仕事に出かける。
義父と義母と義弟は、耕運機に乗って山の中にある田畑へ。
義兄は、延岡の職場へ行く。
残された私達は、実家の留守番?もせず、子供のように
近くの林に入ったり、山へ登ったりして遊んでいた。
義姉は、洗濯や掃除など家事をし、そのうえ実家は、
村のヨロズヤのようなことをしていたので、客の応対も
しなければならなかった。
昼頃になると、義姉が私たちを呼びに山に登ってきたりもした。
「昼ごはんよ〜〜」と。
義父らは、弁当を持って行ってるから帰ってこない。
私たちは、また義姉の世話になり昼ごはんを食べた。
夜も同じだった。
義父らが帰ってくる前に風呂を沸かしてくれいて、
先に私たちが入ったあと、義父だけが風呂に入り、
みんなで食事をし、そのあと順番に風呂に入る。
みんなは働き者だった。
3日間、私達夫婦は、上げ膳据え膳で何もしなかった。
というよりも、放って置かれた。
義姉だけが、私達を構ってくれた。
義兄は、仕事が終わっても家に帰らず、この実家に
帰ってきて義父や義弟と酒を飲んで楽しそうにしていたが、
私達夫婦は、与えられた部屋でテレビを見ていた。
そんな時、義姉がやってきて、私達の話し相手になってくれた。
義姉は、綺麗な人だった。
よく働き、親切で優しかった。
義兄のことが、うらやましく思えた。
義兄も優しい人だった。
義弟も寡黙だが、おとなしくて、よく働き義父を助けていた。
村は、のどかだった。
実家の建物が古くて汚くなければ、軽井沢の別荘にいるような
気分だった。
あれから○十年・・・。
毎年、女房の実家に帰ることはなくなったが、
義姉からは、年に何度か宅配便が届く。
そして、いつも私達夫婦のことを気づかった達筆の
手紙が添えられている。
今日(18日)、自分達が作ったという日向夏と鳥の燻製が、
ダンボール2箱で届いた。
そして、添えられていた手紙の最後のほうに、
【・・・携帯もつながらないし、メールも届かないようだけど、どうしたの?・・・】と。
大事な義姉に携帯電話もメールも変えたことを連絡するのを忘れていた。
コメント
じゃないですか?
手紙だから、方言は出ないかな。
アクセントは、少し違いますが・・・。