花盗人

2008年4月22日
<4月22日付 読売新聞の編集手帳> より

佐藤春夫の訳詩集「車塵(しゃじん)集」に
「ただ若き日を惜しめ」という詩がある。
もとは唐の漢詩である。

綾(あや)にしき何をか惜しむ
惜しめただ君若き日を
いざや折れ花よかりせば
ためらはば折りて花なし

豪華な衣装など、何を惜しむことがある。
いまという時を惜しみなさい。
花がよければ、折るがいい。
ためらっていると、枝を折り取ったときにはもう花はないのだ、と。
花とは恋であり、あるいは夢であろう

「ただ一枝(ひとえだ)は折りて帰らむ」という古歌もあるが、
古人が花盗人(はなぬすびと)をいくらか大目に見てきたのは、
「ただ一枝」の慎みと、何よりも「花よかりせば」、
花に寄せる情熱に免じてのことだろう

チューリップなどが何十本、何百本も引き抜かれ、
切り取られる事件が各地で頻発している。
慎みや情熱と無縁の花盗人ならぬ「花の殺戮者(さつりくしゃ)」
である。
無抵抗の花から無抵抗の人間に、邪悪な意思の向かう先が変われば
不気味な想像も働く

小さな花や虫を戯れに傷つけたことのある人は知っている。
弱い自分を思い知り、後味は苦い。
自分の胸を傷つけてどうする、狼藉者(ろうぜきもの)よ。
惜しめ、ただ、おのが心を。
<全文>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「花盗人」という言葉を知ったのは、遥か昔のことだ。

まだ、賃貸住宅に住んでいた頃、
兵庫県の有名な高級豪邸が建ち並ぶ街に憧れて、
年に何度か、その街に彼女とドライブに出かけた。
大阪湾を見下ろすその街は、神戸の夜景が一望できるところで、
昼も夜も人影が少なく、時折通る車は高級外車ばかり。
春には街路樹の桜が見事に咲き揃い、その下に車を止めて
夜桜と神戸の夜景を一緒に楽しんだ。
その夜桜見物?を終えて帰ろうとする時、
助手席に乗っていた彼女は、桜の枝を持って帰りたいと
言い出した。
フロントガラスの近くまで咲いていた桜の枝を
一枝折って欲しいと私にせがんだ。
「ダメでしょう」と拒否したとき、
「花盗人は、許されるのよ」と、その時、はじめて
その言葉を知った。
少し後ろめたい気持ちになりながらも、
彼女の、茶目気な言葉に押されて、
たわわに咲いた桜の木の枝先を折って彼女に渡した
その時の本当にうれしそうな顔が今でも目に浮かぶ。

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