おくりびと
女房に誘われて映画「おくりびと」を観てきた。
私は、あまり邦画を見ない方だが、これは、なかなか良かった。
「おくりびと」の名称は、女房も私も知らなかった。
私の父が死んで12年になるが、女房は今日まで、その存在すら知らなかったらしい。
じゃ、私の父が死んだ時、女房は何をしてたんだ!
ここで、父の葬儀の時のことを思いだした。
女房は、何もしていなかった。
本当に何もしていなかった。
葬儀の準備や手伝いは、もちろんのこと、
弔問客の接待や挨拶もせず、
ボーッと座りこんでいただけだった。
それは、義父の死のショックが理由でもなかった。
ただただ自分自身の偏った信念から
葬儀というものに違和感を抱いていただけで、
意地で何もしなかったのだ。
・・・・・・・
過ぎ去ったことは、仕方がない。

映画の話に戻そう。
私は、どういうわけか小さい頃から、人様の死の場面に
結構多く立ち会ってきているので、その存在は知っていた。
ただし、「おくりびと」とも「納棺師」とも言わなかった。
漢字は間違っているかも知れないが、湯灌師(ゆかんし)と言ってたような気がする。
私が子供の時は、どんなに親しい人でも死体となると気持ちが悪かった。
それを、納棺師は、たとえミイラのようになった老人の死体でも、あたかも自分の子供か恋人のように、大事に丁寧に抱きすくめるようにして、死体の身体を拭いていき、死装束を着せ、死化粧をしていく。
私は、それを見て子供ながらに感動したのを覚えている。
今日観た映画「おくりびと」は、まさに、その再現フイルムのようだった。
パフォーマンスが、少しオーバーな気がするが、
最近は、そのようなこともするのかも知れない。


コメント

せきやん
2008年9月29日18:04

いつも楽しく教えていただいてもらってます。
宮崎でも「湯灌」といいます。

斎場でなく「家」でやるものですから家を守る長男の妻(せきやんの母)を中心に
ユカン・納棺をしてました。
「師」はついてませんでした。
本来はそうだまぁ~と教えていただきました。
納戸と呼ばれる北側の部屋で桶に湯を張りきれいにして納棺しました。
せきやん爺も幼少時代があったわけで怖くてたまりませんでした。
あんなに可愛がってくれた明治の爺婆さまが死んだときも遠くで半身で逃げてみていました。ゴメン!爺婆さま。
なお納戸は家で出産をしてましたので産室でもありました。
結婚式のときはお料理部屋の控えの間。
なんでも裏方がいちばんがんばってますようですネ。

一砂 心
2008年9月30日5:00

コメントありがとうございます。
昔は、納棺師とかの名前はなかったように思います。
葬儀屋さんの中に、湯灌を専門にする人がいただけで、
「師」はついてなかったと思います。
家の人だけでする場合もあったと思います。
やはり、いくら親族といえども子供にはできませんでしたネ。冷たくなった遺体というものが、気持ち悪くて・・・。

ところで、ものの本によりますと、
江戸時代には、寺の一画に湯灌をするための
「湯灌場」というのが設けられていたらしいです。
地主、家持ち以外は、家で湯灌をすることが
許されてなかったからだそうです。
さらに、湯灌場をまわって死者の衣服や葬式に
使ったものを買って歩く、一種の屑屋のようなことを
していた「湯灌場買い」という人(職業?)もいたようです。


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