小説 あらしのよるに
オオカミのガブと、ヤギのメイが嵐の夜に出会って、
お互いに惹かれあい、幾多の苦難を乗り越えていく話だ。
食うものと食われるものが同じ道を行く。
大自然の摂理を無視した話なのだが、最初は子供向けの絵本からの出発だから
それは、それでいい。
しかし、それと同じようなことを人間にあてはめてみたら、土代、無理な話しに
なってしまう。
そしてまた、人は、自然の摂理だと錯覚していることもある。
たとえば、オオカミが人を襲うと思っているが、それは間違いだ。
オオカミは家畜を襲うことはあっても、人を見ると逃げる習性にある。
子供のころ読んだ童話での話から、オオカミは怖いとイメージされてしまったのも
原因のひとつだろう。
実際には、イメージ的には優しいクマのほうが、人間をみると襲ってくる場合が多い。
人は、沢山の情報を得て少しづつ賢くなっていく。
でも、得る情報から本当のことを見極めなければならない。
そして、その中には本当のことが沢山あるが、時代に則しているのかということも
見極めなければならない。
以前の情報は、その時代には正しかったけれど、今では錆ついてしまって
毒になる情報もある。
正しい情報もたくさんあるが、その中で重要なことは何か?
真実は何か?を判断しなくてはならない。
もちろん、自然の摂理のように、いつの時代も変わらぬ真実もある。
見極めが大事だ。
氾濫する情報に流されてはいけない。

さて、この「あらしのよるに」は、
食物連鎖という自然の法則を無視してでも、愛し合うオオカミとヤギがいる。
喰うものと喰われるものが、惹きつけあう。
その難しさ、苦難を乗り越えていく原動力は何か?
そこには、愛し合っていることを確認できる喜びがある。
夢を共有できる楽しさがある。
一緒にいるだけで、湧き上がるうれしさがある。
そして、お互いの立場が喰うものと喰われるものという悲しい現実が、
逆作用で、いっそう2匹を結びつけることになる。
反骨精神ではない。
現実なんかどうでもいいくらいの深い愛情だろう。
でも現実は無視できない。
現実に立ち向かうか、逃避するしかない。
この2匹は立ち向かおうとしたが、逃避するしかなかった。
なぜなら、自然の摂理には逆らえないからだ。

逃避。
お互いの現実環境からの逃避は、相手以外のすべてを捨てることになる。
私は、親や子、親友や仲間を捨ててまで添い遂げようと思ったことはある。
しかし出来なかった。
その勇気がなかったと思われてもしょうがないが、しっかり天秤にかけた。
そしたら、私の中では、どちらも同じ重さだった。
人間の作った法則、秩序なんて間違っていることもあると思った。
私は、秤にかけたものを天秤と共に担ぐ道を選んだ。

オオカミのガブとヤギのメイは、現実から逃避しながら
現実に追いかけられ、現実に問いかけられる。
そして、二匹は、互いに問いかけ、互いに応える。
その言葉のひとつひとつは、私が自問自答した言葉そのものだった。
ハラが減って、食べたいヤギが目の前にいるのに我慢しているオオカミ。
いつ喰われるかも知れないのに、寄り添うヤギ。
そんな現実を乗り越えた愛が、夢が、優しさが、そこにあった。
結末は、ある程度想像できたが、私のような世の中に擦れてしまった者が
想像するような結末ではなかった。
私が担いだ天秤は、どちらにも傾かなかった。

それにしても、
この本を紹介してくれたDNのあなたに感謝したい。
そして、あなたと優しさを共有できたことをうれしく思った。
今回の私の逃避旅の原因であるやっかいな問題の解決には至らなかったけれど、
心も身体も癒やされて眠りにつくことができた。
さらに、この本を読み終えたあと明日の行動予定も思いついた。

雪の降り積もる宇奈月の夜は、とっても静かで温かかった。


   かえるべき 梢はあれどいかにせん
      風をいのちの 身にしあらねば


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