東京から帰ってきた。
天気も良くて、いい観光ができた。

行きには見えなかった富士山が、帰りの今日、
すっきりと見えた。
それは気高く気品溢れんばかりの見事な姿だった。
あんな富士山は初めてだった。

初日(28日)は、三十年以上も前に捨てるように去った地を、
訪ねることにした。
忘却の彼方と化した地は、そう簡単には見つけることはできないだろうと
思っていた。
現地へ行けば思いだすこともあるだろうと、たどりついたところは、
様子も変わっていて、なかなか当時を思い起こせなかった。
だいたいの方向もわからないまま、あっちの角を曲がり、
こっちの橋を渡りしているうちに、偶然にも女房が、
「あ、この新聞屋さん・・・」と言って立ち止まったところから、
すぐに、女房が暮らしていた独身寮が見つかった。
それは、本当に偶然だった。
見つからないから帰ろうと、駅の方へ戻る時に、
来た時の道より1本早く曲がったために
その新聞販売店が女房の目に止まったのだ。
独身寮は、形はそのままだったが、おそらく中は改装されているのであろう、
個人の家になっていて表札があがっていた。
大家さんの名前だろうと女房が言った。
私も一度だけ、この寮を訪れたことがあったが、全然想い出せなかった。

つぎに私たちが同棲していたアパートを探しに行った。
二人とも地名だけは覚えていたので、電車に乗りバスに乗って
その地に辿り着いた。
しかし・・・、そこからどっちの方向だったかわからなかった。
二人の記憶をつなぎ合わせて、近くに大きなグラウンドと、
ラーメン屋と銭湯があったことを結びつけて、
その周辺をしばらくうろうろしていうちに、
やはり、あった。
ペンキこそ塗り替えられていたが、
古ぼけて誰も住んでいない様子だった。
外から眺めて、「あの角の部屋に居たんだ」と懐かしさがこみ上げた。
都心から遠く離れたその場所は、30数年経った今も、
そんなに変わっていないような気がした。
コンビニや、新しいマンションなども建ってはいるが、
付近には、まだ安アパートが点在していた。
当時は、家賃9千円。
押入れもない6畳ひとま。
もちろん風呂も無く、共同便所で水道も共同だった。
まったく寝るだけの部屋だった。
思い出せば、よくそんなところで1年も暮らしていたなぁと思った。
若かったから、
そういう時代だったからだけではない。
お互い、ちゃんとした会社の寮があったのに、
二人で住みたいと言う気持ちだけで、見つけた安アパートだった。
月末は、食べるものが無くて、
ドン底のような生活をしていたけど、苦にならなかった。
なぜか、苦しかったようなことは思い出せない。
むしろ楽しかったような気がする。
当時、二人でよく時間をつぶした小さな公園は、綺麗に整備されて
少し広くなっている感じだった。

女房の当初の目的は達っせられて、満足そうだった。

2日目(29日)は、
東京タワーと、六本木ヒルズと、国立新美術館、渋谷に行った。

そして今日(30日)は、
靖国神社と国技館から表参道を歩いて、原宿、明治神宮へ行き、
タクシーで東京都庁へ行ってきた。

30数年前のふたりだけの話しをしながらの短い旅でした。

コメント

パセリちゃん
2009年5月1日21:06

20数年には、驚きました。同棲時代があったて、めちゃめちゃ仲よかったんだ。わからないものです。わたしは、相変わらず、恋はしてます。前世は、男だったのかも、旦那は女で。

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