2月22日

2010年2月23日 日常
2並びの日だったが、
妻に今日は何の日?と聞けば、
「私が生まれ変わった日」と答えた。
そういえば、7年前、彼女は交通事故で
瀕死の重傷を負った日だった。
あれから7年。
彼女は決して忘れることが無い日だと言う。
毎年、おとずれる2月22日だが、
私は、他人ごとのように忘れてしまっている。
あの時から私の生活も変わったのに。

当時・・・。
経営していた会社は赤字続きの低空飛行を続けていて、
痴呆の母の世話に負われていたにも拘わらず、
私は毎日、のほほ~んと酒と女とギャンブルに興じていた。
そこへ妻の交通事故で・・・。
やむなく会社をたたみ、母と妻の看病をせざるを得なかった。
おかげで、会社の借金は妻の交通事故の保険金で少し穴埋めをしてもらったが、
しばらくは、おとなしくしている他はなかった。
しかし、ぐーたらな性格は治るわけでもなく、
仕事をしない生活が続くと(慣れてしまうと)
罪悪感もなくなってしまい、母はホームに預けっぱなし、
パチンコに通うし、一人旅と称してブラブラと女と旅に出るし、
欲しいものは何でもホイホイと買っては捨ててしまうような
暮らしぶり。
正直言って、こんなことしていていいのだろうか?と
少しは反省もするけれど、いつも私の中には、立派な言い訳?と
言い逃れが存在しているんだから、どうしようもない。
これって、自分を騙しているんだろうか?
たぶん、あきらめの境地だろう。
たいした学もなく、大きな夢や野望を抱いていたが、
今さらこの年になって、実現するわけでもないのは分かった。
だったら、残りの人生は、好きなように生きてやろう。
今までも好きなように生きてきたけど、いつも底辺には、
自分や家庭の幸福を願っていた。
その為に働いてきたし、ある程度したいことも制限してきた。
傍目には、家庭を顧みないほど仕事に明け暮れていたけど、
それもこれも皆、お金を儲けて家族の幸せのためだと思っていた。
間違っていたのは、金儲けがすべてだと思っていたことだった。
妻や子供は、私とは正反対の性格で、質素で落ち着いた生活を
望んでいたようだった。(反面教師だったのだろうか?)
妻や子供たちは手がかからず、お金やモノは欲しがらなかった。
だから、普通に生活していくだけだったら、何も危ない橋を渡るような
ことをしてまでゼニ儲けに走ることはなかった。
おまけに私の養父には少しばかりの財産もあったから、
無理をすることはなかったはずなのに・・・、。
いろいろ反省することは、あることはあるが、
おかげさまで、なんとか自分の健康以外は上手くいっている。
で、
今日(23日)どういうわけか、医者から強制的に胃カメラを飲まされる。
ビビりはしないが、嫌いなんだよね胃カメラは。
何度やっても慣れない。
鮎の塩焼きを想像してしまう。

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