今回の地震や津波、そして原子炉事故に被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。
そして、亡くなられた方々、
苦しかったでしょう。悲しかったでしょう。悔しかったでしょう。
心からお悔やみ申し上げます。
毎日、ニュースを見るたびに、本当にお気の毒で涙が出てまいります。
家を失くし、親を亡くし、子を亡くし、親戚や友人も亡くし、
よく耐えていらっしゃるなぁと思います。
耐えるしかないのでしょうけど・・・、
何もしてあげられなくて、すみません。
心が痛みます。
早く、少しでも元の生活に戻れるよう祈るしかありません。
それにしても、私が感心したのは・・・、
(いや、むしろ不自然なぐらいに思えた自分を恥じなければならないのですが)
被災者の皆さんの、冷静で、おちついた態度です。
食糧の不足で、1個のオニギリと1個の飴玉だけしか与えられなくても、
文句を言わず、ありがたいと感謝の言葉を言い、
がんばっていきますと、被災していない者に逆に勇気を与えてくれる。
仕方がないと、あきらめているのか、未だ現実を受け入れられないのか、
わかりませんけれど、声を荒げての不足や不満は、殆どない。
それどころか、同じ境遇の人たちのことを気遣い、励ましあっている姿に
心がうたれます。
リーダーたちは、立場上、不足や援助を訴えなければならないでしょうけれど、
そのトーンは低く穏やかで、誰のせいだと怒りをぶつけたりしていない。
日本人の優しさ、底知れぬ逞しさ、忍耐強さを感じたのは私だけだろうか。
見たか!外国人!これが日本人ぞ!
と叫びたくなりますが、
よその国の人は、よその国の人で良いところがあるので、
ここで、よけいなことは言ってはいけない。
で、もうひとつ私が感じたのは、
神戸の震災のときと少し違うなぁと。
あの時、被災者は打ちひしがれ路頭に迷いながらも、
力強く団結し、みんなで頑張ろうとしていたのは同じですが、
あれが足りない、これじゃダメだ、行政は何をしている。
もっと支援をと懸命に訴えていました。
それは当然のことだから、何も見苦しいとか、あつかましいとか
カッコ悪いとかは、思わなかった。(今も思っていない)
だが、今回、被災された皆さんは、つつましやかに、
むしろ無口なぐらいに、あまり訴えるようなことはしていない。
感謝の声のほうが多く聞こえます。
遠慮することはないんだよ。
泣いて叫んで、もっと助けを求めてくれたらいいんだよ。と思うぐらいです。
土地がらでしょうか?
原発の避難区域に居たお年寄りが、
「私のような老人が避難しても、他の避難している人に迷惑がかかるから」
と、避難を拒否していたのも悲しいです。
避難区域だから、水や食糧も電気やガスも届かない。
それでも、今住んでいるところを離れたくない。それもわかります。
「ここで死んだほうがいい」と、死ぬ覚悟も出来ていたのでしょう。
だけど、生きなきゃダメです。
たとえ残された時間が少なくても、多少、ひとさまにお世話になろうとも、
生きていてこその人生です。
捨ててはいけません。あきらめてはいけません。
一度しかない人生なのですから。
結局、説得されて避難されたようですけれど、
これからも、頑張って生きていって欲しいです。
きっとまた良くなります。
きっとまた良いことがあります。
悲しみを乗り越えて
がんばろう日本!
がんばろう日本人!
と叫ばずにはいられません。
心よりお見舞い申し上げます。
そして、亡くなられた方々、
苦しかったでしょう。悲しかったでしょう。悔しかったでしょう。
心からお悔やみ申し上げます。
毎日、ニュースを見るたびに、本当にお気の毒で涙が出てまいります。
家を失くし、親を亡くし、子を亡くし、親戚や友人も亡くし、
よく耐えていらっしゃるなぁと思います。
耐えるしかないのでしょうけど・・・、
何もしてあげられなくて、すみません。
心が痛みます。
早く、少しでも元の生活に戻れるよう祈るしかありません。
それにしても、私が感心したのは・・・、
(いや、むしろ不自然なぐらいに思えた自分を恥じなければならないのですが)
被災者の皆さんの、冷静で、おちついた態度です。
食糧の不足で、1個のオニギリと1個の飴玉だけしか与えられなくても、
文句を言わず、ありがたいと感謝の言葉を言い、
がんばっていきますと、被災していない者に逆に勇気を与えてくれる。
仕方がないと、あきらめているのか、未だ現実を受け入れられないのか、
わかりませんけれど、声を荒げての不足や不満は、殆どない。
それどころか、同じ境遇の人たちのことを気遣い、励ましあっている姿に
心がうたれます。
リーダーたちは、立場上、不足や援助を訴えなければならないでしょうけれど、
そのトーンは低く穏やかで、誰のせいだと怒りをぶつけたりしていない。
日本人の優しさ、底知れぬ逞しさ、忍耐強さを感じたのは私だけだろうか。
見たか!外国人!これが日本人ぞ!
と叫びたくなりますが、
よその国の人は、よその国の人で良いところがあるので、
ここで、よけいなことは言ってはいけない。
で、もうひとつ私が感じたのは、
神戸の震災のときと少し違うなぁと。
あの時、被災者は打ちひしがれ路頭に迷いながらも、
力強く団結し、みんなで頑張ろうとしていたのは同じですが、
あれが足りない、これじゃダメだ、行政は何をしている。
もっと支援をと懸命に訴えていました。
それは当然のことだから、何も見苦しいとか、あつかましいとか
カッコ悪いとかは、思わなかった。(今も思っていない)
だが、今回、被災された皆さんは、つつましやかに、
むしろ無口なぐらいに、あまり訴えるようなことはしていない。
感謝の声のほうが多く聞こえます。
遠慮することはないんだよ。
泣いて叫んで、もっと助けを求めてくれたらいいんだよ。と思うぐらいです。
土地がらでしょうか?
原発の避難区域に居たお年寄りが、
「私のような老人が避難しても、他の避難している人に迷惑がかかるから」
と、避難を拒否していたのも悲しいです。
避難区域だから、水や食糧も電気やガスも届かない。
それでも、今住んでいるところを離れたくない。それもわかります。
「ここで死んだほうがいい」と、死ぬ覚悟も出来ていたのでしょう。
だけど、生きなきゃダメです。
たとえ残された時間が少なくても、多少、ひとさまにお世話になろうとも、
生きていてこその人生です。
捨ててはいけません。あきらめてはいけません。
一度しかない人生なのですから。
結局、説得されて避難されたようですけれど、
これからも、頑張って生きていって欲しいです。
きっとまた良くなります。
きっとまた良いことがあります。
悲しみを乗り越えて
がんばろう日本!
がんばろう日本人!
と叫ばずにはいられません。
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